ブログ

子どもたちへの習い事を通して行き着いた”挨拶”への考え方

こんにちは、バク転指導者の輪島貴史です

今日は「挨拶」について

僕は運が良く、19歳でバク転の先生になれました
そこから21年、指導を続けています
人生でずっと続けている現在進行形のものがバク転であり、指導なのです

そんな指導ですが、唯一、いまだにレッスン時に抵抗があるのが、「挨拶」なんです

スタントマンとしては、業界は「挨拶」はとても大事ですので
挨拶は気を使って使い過ぎるくらいに挨拶をします

バク転の現場では、全体に向かって「おつかれさまでした」とは言いますが、一回では済ませません
自分のシーンが終われば監督やプロデューサーをはじめ、
照明さん、音響さん、メイクさん、衣装さん、ADの方々等、一人一人に挨拶をするまで現場からは帰れません
「あの人にまだ挨拶できていない」と思えば、その人が戻って来るまで30分でも1時間でも待ちます

(もちろん現場の空気を読んで、あきらかに邪魔な場合は「よろしくお伝えください」
と言ってサッと帰り、後日、お礼の連絡を入れますが)

そこまで挨拶に徹底して仕事をしているのですが
バク転の指導時だけは抵抗があるというか、いつも自問自答しています

 

なぜならば、子供はまだ挨拶ができないからです
形式上の挨拶はできても、「挨拶の本当の意味」までは本気で取り組んでいないと分からないからです
形式上の挨拶だけで育つと、社会に出ると怒られます(多分)

こちらは「挨拶したつもり」なのに、目上の人からすれば「あいつは挨拶もせずに帰った」と思われる事があります

そして本人は「えー?挨拶したのに何故?」となります
この堂々巡りのスパイラルは、挨拶の意味を理解するまでは解決しません
「挨拶したつもり」では駄目なのです

「したかも」「したはず」「したつもり」と思っているうちは駄目なのです
しかし、この挨拶の精神を子供に1回で教えるのは難しく、続けていく事で理解していく事なのですが

ここからが本題です

僕は、挨拶をするのは得意というか、当然というか、好きなのですが
「挨拶をさせる」という事に抵抗があります

だって僕は、大臣でもなければ王様でもない、普通の人です
偉くもなんともないのです
役職上「先生」とは呼ばれていますが、僕個人は、偉くもなんともない普通の人間のです

そんな王様でも神様でもない僕が、お金を払ってくれた他人様に
「挨拶をさせる」なんて・・・

未だにそこだけは、どうしても抵抗があります

挨拶とは自発的にするものであり、させるものではないんです
しかし、教育上、挨拶をさせないといけないのです

そんな自問自答を繰り返した結果
行き着いた答えがあります

それは、僕自身が、子供に
「習いに来てくれてありがとうございます」と挨拶をする事です
「精一杯務めさせていただきますのでよろしくお願いします」と挨拶をする事です
その想いを「よろしくお願いします」の一言に込めます

レッスン開始の時間になれば整列まではさせませんが
その場の皆さまに、「よろしくお願いします」と想いを込めて僕自身が頭を下げます
すると、子供達も「よろしくお願いします」と挨拶をしてくれます

これで「挨拶をさせる」事なく、挨拶から始まれるのです

そして、レッスンが終わると
僕自身の気持ち
「話を最後まで聞いてくれありがとうございました」
「僕の経験が皆さまのお役に立てれば幸いです、ありがとうございました」
という想いを込めて
「ありがとうございました」の一言に込めて頭を下げます
すると子供達も「ありがとうございました」と挨拶をしてくれます

こうして僕は、「挨拶をさせる」事なく挨拶をしています

普段はこういった想いをレッスン中に語る事はないので
こうしてブログで語れる事ができてありがたいですね

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

Return Top