論破王と呼ばれる西村ひろゆき氏の登場で、
未成年の間で、「それってあなたの感想ですよね?」という言葉が流行っているそうです(笑)
数年前から、ビジネス界ではエビデンスと呼ばれる「証拠や証明」を意味する言葉が使われるようになりました
商談や会議中、誰かの意見に対して「エビデンスはあるんですか?」しいては、
「その意見を証明できる資料はありますか?」という質問が上がったりします
【論理、論理的、論破】という言葉が最近は先行し過ぎているようにも感じますが
論理というのはある種の学校の勉強よりも膨大な量の知識があって出来る事です
とても大事な事であり、僕は趣味が勉強なので「理屈、理論、論理」の本は読みますが
最終的に、論理と感情というのは、状況次第であり、バランスであり、タイミング次第だと思うんですね
人間同士、真剣に何かをしていると、仕事でも恋愛でも家族関係でも
本人は理屈にそった話をしているつもりでも周囲からは
「今、言う話じゃないよ」「このタイミングでそれ?」という雰囲気になり、
家族ならまだしも、恋人同士であれば、それが今後の関係性に大きく影響します
いくら論理的な意見であっても、タイミングを間違えたら、相手からの信用を失ってしまう時があります
そこで、最初に戻りますが最近は小・中学生が親や先生から指摘された時に
「それってあなたの感想ですよね?」と返し、大人は困ってしまう、という事があるそうです
そんな時の大人の返し技としてこういうのはいかがでしょうか
「あなたは、その言葉を、読書感想文のクラス発表中でも言えるの?」とか(笑)
「歴史上の偉人の名言なんて全部、感想だよ」とか(笑)
「大学で学ぶ哲学も、哲学者の感想だよ」とか(笑)
「漫画の名言も、作者の感想だよ」とか(笑)
なんなら
「今見ているアニメの感動シーンは、作者の感想を絵にしただけだよ」とか(笑)
「映画も二時間、映画監督の感想を見ているだけだよ」とか(笑)
これは僕の感想ですが
あ、その前に、この話は、バク転の話ですよ、感想を交えた例え話の最期にバク転の話になります!
このブログは、子供の教育やバク転について語るブログですので!
で、僕の感想ですが
結局、人は人の感想で心が動かされるんじゃないかと思うんですね
これは感想ですよ、感想を言ってるだけですから
「それってあなたの感想ですよね?」と、遮らないでくださいね(笑)
どれだけ優れた論理でも、論理である以上、誰かがすでに研究し、解明されているから説得力があるのであって、
誰かの言葉を借りているに過ぎないと思います
なので、論理で納得はできても、心までは動かされないと思うんですね
「腑に落ちる」ということわざがありますが
つまり、内臓にまでおりてきた、という意味であり
「脳で、理屈で理解したのではなく、体の内部にまで浸透するくらいに納得できた」という意味だと、僕は解釈しています
鉄棒や、跳び箱、体操の種目や、側転やバク転など
科学的な見解、理屈や理論はいくらでもありますが、
先生からいくら理屈を聞かされて、頭では分かっていても実際に体がその通りに動くかどうかは別の話です
理屈だけで体が動き点数が取れるなら、それは「運動力学」であり、「体育」ではないわけです
結局体を動かして身に付けていくしかなく、そのためには心が動いていないと身に付かないと思うんですね
無感情で理屈を脳に入れていく作業は、パソコンのソフトのインストールと一緒です
スマホのアプリのインストールと一緒です
人間はロボットではありませんので、特に子供の教育で、無感情に「この本を覚えろ」なんて冷たいじゃないですか
だから、感情でいいんですよ
バク転指導もそうだし、先生の指導なんて、結局は感情論です
先生の言葉なんて、先生の感想を言っただけの話なんですよ
でも、それが大事なんですよ
結局、人間は感情で生きてます
結局、感情論なんですよ
だから大事なのは、どこまで相手の感情論に向き合えるか、付き添えるか
だと思うんですね
その感情論に耳を傾け、寄り添える人が、誰かの心を動かし、人から人へと、次の世代に伝わっていくと思います
これを「サスティナブル」と言います
「持続可能な」という意味で国際的な政治や、地球環境も視野に入れたビジネスで使われる言葉です
論理だけでいくと、どこかで途絶えてしまうというか、疲れてしまいます
技術の継承って、論理もあるけど、受け継ぐ側が感情で受け入れたから継承されたんです
家庭の味、一族の風習、習慣、それを親から子へと、子から孫へと伝わっていくのは
親の感情、感想が伝わったからだと思うんですね
だから、教える側が「この技術は、こういう風に役立てて欲しい」という感情があるから
伝えたいわけで、理屈だけで考えたら人に教えるなんてもったいないじゃないですか
得する知識は自分だけでとどめておいた方が自分だけが得します
でもそれじゃ「生きてる気がしない」から、
人は人に言葉を通して、自分が学んだ事を、感情を交えて話し、伝えていくんじゃないかなと思うんですね
そして、そのためには感情だけだとうまく伝わらない時があるから
文法を学び、歴史から学んだ例え話を用いたり、理科から学んだ生物や天気に例えて話したり、
英語も使ったり、数字で証明したりといろんな理屈も、論理も使って、教えていく
そのために、論理を学ぶ必要がある
論理ってそういう事だと思うんですね
それを支えるのは、結局は感情論だと思うんです
だから、僕が生徒に教え、若手の先生に継承させていく指導技術は
「僕の感想」を伝えているだけなんです
その感想に向き合ってくれる人がうちの講師陣であり、
通ってくれる生徒、通わせてくれるお父さんお母さんだと思うんです
僕は、感情とか感想って、素敵な事だと思います
今日は以上です
では、ブログ執筆も一段落という事で
僕の好きなYouTubeの「ひろゆきチャンネル」を見てきます(笑)