講師紹介

輪島校長の自己紹介その①

校長の輪島です
最近は若手講師の成長が著しく、生徒一人それぞれのカリキュラム作りがメインですが

運営サイドから
「あらためて自己紹介お願いします」
との事で、自分で語るのは照れくさいのですが、あらためて自己紹介させて頂きます

近年は個人情報等で守られた、ご時世、時代、文化となっておりますが
私はこの世界で生きていく事を決めた日から個人情報と命はすでに仕事に捧げておりますので、
毎度、赤裸々に明かしております

再度、素性を明かす事でご父兄の皆さまに少しでも信頼と安心を感じて頂ければと思います

 

1981年3月9日生まれ、石川県金沢市出身の輪島貴史です
レミオロメンの名曲のおかげで誕生日が有名になりました(笑)

勉強が苦手なため、低偏差値の農業高校に行き、将来は普通に就職し
「目指せマイホーム」の人生を歩むと思っておりましたが
高校1年の頃アルバイトで始めた、デパートの屋上でおこなうヒーローショーの世界に足を踏み入れ、そこで人生が一変しました

最初は地元のショーで趣味としてアクション、アクロバットを行っていたところ
とあるステージでプロの『後楽園遊園地野外劇場』出身の方と共演させて頂き
その動きの華やかで美しく、激しく熱いパフォーマンスに心奪われ、自分もそうなりたいと思い、
就職活動はせずに卒業後は上京し、東映系列のスタント事務所に入りました

プロの戦隊ヒーローの世界は、「撮影」と「LIVE」の二択になります
「撮影」は東映の撮影所で毎週日曜日放送のヒーロー番組の撮影です
「LIVE」は後楽園遊園地野外劇場でのヒーローショーのステージ
僕は正直、「戦隊ヒーロー」そのものへの興味はあまり無く
純粋な身体表現としてアクションをしたい想いから、ヒーローショーのメッカである
後楽園遊園地野外劇場に憧れ、その現場への配属を志望しました

上京初日の事務所稽古で頑張ってアピールしたところ
「動きに癖が多い、典型的なアマチュアの動き」と痛烈な指摘
「今のレベルで後楽園は無理、練習して2~3年で入れるように頑張れ」と言われました
それでも頑張って行こうと思った翌日、事務所から1本の電話

「後楽園のリハーサル中に怪我で欠員が出た、雑用を含む下っ端の役だが、すぐに来い」
と言われ、なんと、上京3日目で夢の後楽園デビューが決まったのでした

ちなみにその時の流行歌は

ヒステリックブルーの『春~spring~』
ゆずの『いつか』
SMAPの『朝日を見に行こうよ』

でした
18歳で社会に放り出された、世の中の右も左も分からぬ青年は
東京都練馬区桜台の家賃38000円の風呂無しアパートで
その楽曲に支えられ、自転車で練馬区から後楽園遊園地のある文京区まで通っていたのでした

その時住んでいたアパートは、今は駐車場です

とりあえず今日は、ここまで
なんかすいません、書いていたら長くなってしまいましたが、運営の責任という事で(笑)

続く。

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