講師紹介

輪島校長の自己紹介その⑤

校長の輪島です
そろそろ運営サイドからの「あらためて自己紹介お願いします」という話も
自己紹介という名のただの体験談であるという事で

長いなあ、申し訳ないなあとは、もはや思ってはおりません(笑)

「早く終わらせろ」という意見もちらほらありますが、そこは年の功として
余裕たっぷりに語らせて頂きます

24~27歳までは
子供の生徒が増え、ストリートダンススクールに教えに行ったご縁から
子供ミュージカルの演出も手掛けるようになりました

160人の子供達が出演する大劇場で、教え子が一斉に踊り、側転、バク転を決めるシーンは
今も色褪せぬことの無い想い出です
コロナ禍で舞台はまだまだ難しい状況ではありますが
いつかまた、子供ミュージカルを手掛けたい想いはあります
というか、多分やります(笑)

夢は大きく、尽きる事は無い!

そんな子供ミュージカルの打ち上げで、ふと、思いました
本当に、直感と言いますか、ふと思ったのです

「もう一度、東京に行かなくちゃ」

そう思いました

地元、金沢

まだ当時、北陸新幹線の開通していない金沢駅前の劇場で、そう思ったのです

その1ヶ月後

今の全てを置いて、再上京しました
もちろん、月に数回、残った生徒へのレッスンは継続しましたが

西東京市に一軒家を借り、再上京しました
(この時、結婚してました。テヘ。子供はいません)

まず、最初に頼ったのは、ヒーローショー時代の先輩です
アクション監督から映画監督へと出世した先輩の年賀状は届いていたので、
その手紙を辿り、受け入れてもらい、お世話になる事になりました

ヒーローショーの世界から映画の世界へ
撮影所は東映から東宝へ

毎日、慌ただしく、関東を巡る毎日
生身の身体で、ビルから橋から飛び降りる毎日
時には悪役、時には芸能人の代わりに、たまには役をもらえて

車にひかれるスタントや、クレーン車から捨てられるスタント等を行いました

はい、ここからは一気に端折ります(笑)

理由は、語りたくても語れない、契約上の理由があるからです
スタントマンは裏方スタッフですので、あえて語る必要は無いと思います
映画は、見たままの世界、作品とはそういうものだと思います

この映画の世界で揉まれ、経験した事が
今、スクールで掲げる言葉

『野性』です

地面がコンクリート、土、砂利、川、海
様々な場所でバク転をしてきました

もう時代が時代ですから、スタントマンという仕事の難易度が下がってきております

怪我人が出たら撮影中止、放送中止ですかね

CGの技術も発達し
高所から飛び降りる事も少なくなってきております

しかし、僕は、その時代に、その経験をする事ができました

あの経験を得たからこそ伝える事のできる
安全対策という技術

実は、スタントマンの仕事の半分以上は
撮影時に、芸能人に怪我をさせないための安全対策です

マットを用意したり、プロテクターを用意したり
状況を見て、何重にも渡る安全対策を施す
それがスタントマンの仕事です

芸能人が望むなら、本人がアクション、アクロバットをします
監督の要望が高度であったり、それをプロダクションが望まなければ、スタントマンが行います
顔は映らないように、作品を裏から支えます

そんな裏方の精神を得たのが、27~30歳の時期でした

流行歌は
秋山雅史『千の風になって』
EXILE『Lovers Again』
でしたが、18歳のヒーローショー時代以上に目まぐるし過ぎて
よく覚えていません

現場、現場の毎日でした。

その6をラストにします!
(予定)

Return Top